格闘技とカレーに通ずる「美味しい」の定義
3月26日に試合に向けての日々を送っております。
この記事が出る頃は、試合前でシンガポールのホテルで隔離されつつ試合に怯えている頃でしょう。この記事を書いている今は、日本での最終調整と渡航に向けた諸々の書類を揃えているところであります。毎回のことではあるのですが、試合前は試合をしたくないです。試合がないときは刺激を求めて試合を欲するのですが、試合が決まって試合を目前にすると試合をしたくないと心から思います。PCR検査で陰性をを願いつつ、陽性であれば試合をしなくていいと微かな希望を持っている不思議な精神状況です。試合がなくなったら打ちひしがれるのだろうし、試合を望んでいるのだけど試合は怖いのです。
仕事の中で逃げ出したくなるようなプレゼン前だったり、辛く苦しく納期が間に合うかわからない現場だったり、この仕事が取れなかったら会社が傾くだったり、資金繰りに困っていたりと社会には逃げ出したい局面はたくさんあると思うのですが、格闘技選手の試合も同じようなもので、それでも闘いに向かっていく姿に価値があるのです。

試合前は練習とプロモーションの仕込みでそれなりに忙しくさせてもらっております。
その中で食事はできるだけ米を食べるようにしていて、家には梅干しやご飯のお供と茹で卵を常に備えています。米は炭水化物、卵はタンパク質、ナッツは脂質と三大栄養素を常備していて、たんぱく質の調整はプロテインを用意しています。シンプルな食事だねと言われることがあるのですが、手間が掛からないことが大事で手間が掛からずに美味しいのでこのシンプルな食事に行きついています。何よりも簡単なのです。
カレーはレトルトを食べることが多かったのですが、最近は箱から出して温める作業(箱がなくても)が面倒に感じてしまって缶詰のカレーを使うことが出てきました。ここまで簡素化し始めるのかと自分でも呆れてはいるのですが、手間が省けて良しです。そしてね。これが大事なところなのですけど美味しいのですよ。レトルトカレーの技術の進歩は割と知れた話ですが、缶詰も同じくで技術の進化でしっかり美味しいのです。

美味しいで言えばこれで僕は十分に美味しいと感じます。
この基準よりも上ならば全て美味しいので食べさせ甲斐のない人なのかもしれません。「美味しい」の定義が面白いなと感じています。僕は必ずしも味の質がいいものが美味しいとは限らなくて、その人のコンディションや場の雰囲気や接客など様々な要因によって美味しいができると考えています。リラックスできるとか、誰と食べるとか、そんなことが大事になってくるんだと思います。格闘技も同じで質を高めることが全てだと思いがちですが、楽しんでもらうには感情移入や共感が大事になってきて、質を高めても芸事として評価されるかどうかはまた別な話になる部分です。食べ物の質、格闘技の質だけでなく全てひっくるめての美味しさであって、そこに好みも入ってくるから創る側はどこに向けて作っていくのかを明確にせねばなと再確認しました。
今回の試合はPPVマッチでPPV件数を考えて広い範囲にアプローチしています。
いくつかの層に分けてアプローチしているのでメッセージも分けています。どこのポジションで見てもそれなりに楽しめるものに仕上がっているはずなのでPPVを自信を持って勧められます。その中でも今回の試合をどう味わってほしいかと言われたら、青木真也がプロ格闘技をやってきた歴史を噛み締めて見てほしいし、僕の思想信念主義主張を感じて見てくれたら嬉しく思います。
試合が終わって食べるご飯は何よりも美味しいはずです。多分、何を食べても美味しいです。
美味しいごはんを食べるために日々を懸命に生きていきましょう。